『自転車乗るお』

『自転車乗るお』
google play 無料アプリ FlipaClip で使用したひとコマ『自転車乗るお』から

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2024年12月6日金曜日

[名古屋フォトウオーク#1] 地下鉄で圦中から上前津、クリマギャラリーに(その5 矢場公園まで)

 






地下鉄上前津駅から出て、大須方面の道に出たところ。
大須近辺はにぎやかだった。




















スージー甘金個展、まずは一度ギャラリーに

[名古屋フォトウォーク#1] 地下鉄で圦中から上前津、クリマギャラリーに向かう(その5 矢場公園まで)





















懐かしかった大学生時代のバイト先があった圦中の街から地下鉄で、上前津まで行くことにした。


もっと八事、圦中をふらふらとして、どこかの店に入ってコーヒーでも飲みたかったくらいだが、まずは一度クリマギャリーに入って、トークショー前に作品を見て、何かグッズを買っておこうと考えていたのだった。
















圦中でバイトしていても、八事から行くので、
バイトに行くのにこの駅から出て向かったなんてことはなかった。
たしか、交通費は出なかったと思う。















地下鉄の写真も撮っておこうってことでパシャリ。













地下鉄上前津駅から出たところ。
ここは人で賑わってなくて、ただ、
栄につづく道がさっぱりと太く駅の前に伸びていた。
ここを左に行くと栄方面になる。













クリマギャラリーは地下鉄矢場町を出ていくのが近かったが、地下鉄鶴舞線から名城線に乗り換えるのが面倒くさかったので、上前津で降りて、少し歩くことにした。



このあたりの地理は、どっちが大須や金山で、どっちが栄方面か知っていれば、迷うことはないわかりやすいことになっている。


地上に出た地下鉄上前津のその出口から真っすぐ行けば、そりゃあ栄に行くだろう、ということだったが、大須あたりの店など目にできる道に出たほうが写真を撮りたくなるところもあるんじゃないかと、地理的に言うとちょっと西に行ったのかなあ? それから、適当なところから北に曲がってクリマギャラリーを目指すことにした。

















これはタトゥーの店らしい。
ドクロの看板が目に止まった。
外国人向けなのか、大須近辺にはどぎつい看板の店が目に付く。
















頭にあったのは、クリマギャラリーは矢場公園の近くにあるということで、大須の商店街には入らないところから曲がって、矢場公園を目指して進んでいった。













ビルの中の看板























スーパーキッズランド大須店と言うらしいビル。
オタクなら行かなくちゃ、というところかもしれないが、
入ったことはない。
ずいぶん昔からあるんじゃないだろうか?
















矢場公園の銅像。
無効に寝てる人の姿がある。




















「夢の女神」という銅像。
金色なのがいいよね。





















この日はまだ暑くて、日陰に入っている人達の姿があった。


















名古屋フォトウォークなので、写真多めで行くのである。





矢場公園は、以前何度サカエミナミ音楽祭とか言うイベントを見に来ていて、最終のまとめステージみたいなことがここの公園であって、足を運んだことがあるところだった。




イベントがない日の矢場公園は、ここが栄の公園なのか? というくらいフツーの公園の様を呈していて、芝生のところでシートを広げたりして過ごす家族連れや、なんかいるなあみたいな人たちの姿があった。




広い通りを行く人達が放つ、慌ただしかったり、どこかに行く目的を持っていたりする人たちが放つ空気感はここにはなくて、こういうところでドリンクや軽食、文庫本なんか持って日曜日に時間を潰すのもいいなあ、なんて思った。




セントラルパークの方に行くと、そこも公園何だけれど、また違った空気感なのである。




矢場公園でトイレを使って行きたかったのだが、行くと、管理してる人というか警備の人と言うかがいて、工事中なので、あっちのトイレを使ってください、と言うので、矢場公園とつながるナディアパークと言う商業施設のビルに入った。





入ってびっくりで、ここの中はこうなっていたのか!?  と外からはわからなかった近代的なかっこいい建築様式に驚いたのだった。

















SF映画にでも出てきそうな建築である。
多くの人たちが中で涼んでいた。






















まだまだ続きます。

2024年11月27日水曜日

[自転車ボトルケージ] トピークモジュラージャバケージを持っているから使うのだ

 





これがトピークモジュラージャバケージってもの。
可変式で、ボトルの底の大きさに合わせて使うことができる。
かっこいい。





















持っているいいものは使おう精神発動

{自転車ボトルケージ] トピークモジュラージャバケージを持っているので使うってこと


















自転車に取り付けているボトルケージは長いことペットボトル用のものを使ってきた。


その間に、ペットボトルと違う少し大きなサイズのボトルもつけられるケージも購入していた。


それがトピークモジュラージャバケージというもので、これだと大きなサイズのボトルもつけられる。可変式で、大きさを替えることができる。上部にゴムベルトが付いていて、それで止めるのだが、それがかっこいい。反面、ぱっと抜いて使いにくいのだが。


で、ペットボトルでも悪くないし、困らないのだが、大きいサイズの自転車用ボトルをいくつか持っている。



それが全然消耗されないので、使わずに残っているのである。



そりゃあ、使わないともったいない、ということで、トピークのそのケージをつけて使っていくことにした。














たとえばこのボトル。
ギアトルというメーカーのものだが、
これが2本ある。





















飲み口のところにロックが掛かる機能がついている。
自転車用なのだ。



















今家の中の入らないものの処分なんかしているのだが、いつか使いたい、っていうのはその先も使わないって可能性が大きいなあ、と思う。



それで、いいものなら、いいものこそ使っていこうという精神で、大きめの自転車ボトルを使っていくことにした。



トピークのこのケージも上部がゴムベルトなので、つけっぱなしにしておくと劣化するなあ、なんて考えて使うのをためらっていたのだが、いいものなので使いたい。



これはアマゾンで1650円だかで売られている。



かっこいいし、同じく大きめのボトルを持っていても使っていない方に勧めたいス。


























2024年11月18日月曜日

[カメラ] canon Powershot SX230 HS テスト撮影その1

 







夢の中みたいな、いい感じのトイカメラ風写真が撮れた。
と言っても、撮ったそのまんまじゃなくて、
若干カメラアプリでいじってあります。




















小さい記録画素数とノーマルな圧縮率で撮ってみた

[カメラ] canon Powershot SX230 HS テスト撮影その1















キャノン パワーショット SX230 HS を買ったので、出かけることがあったので、ついでにテスト撮影してみた。



場所は浜名湖弁天島海浜公園と舞阪漁港。



いつもここで写真を撮るなあ、なんて思うので、できたらテスト撮影のためにどこかに出かけるくらいのことをしたかったのだが、そうも行かなくて、ちょっと撮ってみたらわかるだろう、と思って、ちょこっと撮ってキたのだが、結果よくわからなかった。
















いいなあ、って思うけど、
ビシッとした写真もこのカメラで撮れるはずなのである。















記録画素数は一番小さいサイズで、圧縮率というのもノーマルになっていた。



自分が思っているのは、これまでにこのカメラの他に3台キャノン・パワーショットを使っていて、作られた年代もそんなに離れていなくて、このHS230 IS というのもそうで、そんなにそれらのカメラと変わらないんじゃないか? というふうに思っていたのだが、今回一番小さい記録画素数で撮ったものを見て、ああ、これじゃあカメラ性能のことがわからないなあ、ということになった。



これじゃあトイカメラじゃないか?



というような写りだった。



記録画素数を上げれば、そこそこいい写真になるんじゃないかと思うが、こんなに小さいサイズで撮ると、こんなふうにトイカメラみたいになるのも当然かなあ? と思う。



ほかに使ったことがあるパワーショットにはクリエイティブショットというものが選べて、あえてトイカメラみたいな色合いで撮ることができるものがある。


それは、キャノンが設定したトイカメラ風の写真なのだが、それがなくても小さいサイズで撮るとトイカメラ風になっちゃうんだなあ、ということがわかった。


自分が持っているコンパクトカメラでは、写真を撮るなら、Fujifilm finepix JX500、600かNikon coolpix s32 でいいか、ということになった。














色味もトイカメラ風。




















キャノン・パワーショットは、写真を大きい記録サイズで撮るとそりゃあいいのが撮れるだろう、ということと、動画がいい感じで撮れるので何台か持っているのである。



今回購入したSX230 HS というので、これを持っていけば動画も写真も間に合うんじゃないか? と考えたのだが、写真はやはり持っているフジかニコンのコンパクトカメラがいいみたいだ。


いいと言っても、それは個人的な好みで、ふつーによく撮るならスマホ、iphone がいいと思う。


それらだと自分では物足りない、ってことなのである。



デジタルのトイカメラも何台か持っているが、それらはまさにトイカメラなので、それはそれで物足りないって感じになる。













トイカメラテイストが濃い。


























アプリでいじってありますが、
やっぱ濃い。


















アプリでいじってあるが、
いじらないとパンチがない写真になってしまう。














まあ、これはこれで面白い写真になるなあ、ということなのだが、記録画素数をあげた写真を撮ることと、取説をよく読んで、更に調整したものも撮って、テストその2をやってみたいと思う。


























2024年11月14日木曜日

[ amazon] canon Powershot SX230 HS を買いました

 







なかなかコンパクトで格好いい。
色はブルーにした。
そこでは、ブルーは黒と赤の他の色の中で、2番目に安いカラーだった。
自分の場合、安ければ赤色でも良かったと思う。
このカメラは、撮ったところ、その場所を記録できる機能が付いていて、
そんなのいらないのだが、それが人気だったらしい。

















N2が壊れてしまってどうしようか? と考えた結果がこのカメラ

{ amazon ] canon Powershot sX230 HSを買いました
















canon Powershot N2 というカメラが雨に濡れて壊れてしまって、雨に濡れたくらいで壊れちゃうものなんだなあ、というショックもそうなのだが、どうもこのカメラがあきらめきれなくて、どうしようか? と長いこと考え続けていたのだった。


N2は、新品で、多分もう電器量販店とかには出ていなくて、それでもどういうわけかK's デンキのオンラインショップに出ていて、買おう、ということになったのだった。


買ったときは、台湾とかで人気で、しかし、日本では使いづらいとかで、そんなに人気がなかった、とかいうネット記事を読んでいた。


自分としては、この小ささと、自撮りできるってことがグッドポイントだった。


で、購入したのだが、自撮りすると顔が変に映るなあとか、映りとして、そんなにいいってことでもないなあ、という印象で、あまり荷物を持ちたくないときとか以外にそれほどの出番がなかったカメラだった。






しかし、壊れてしまって、突然だったことがあったし、このカメラのために予備のバッテリーも買い足していたし、何と言っても、それほど使うことなく壊れてしまったなあ、ということが残念で、もう一度使いたい、と中古でいいので程度がいいものを、と探していたのだった。



が、中古ながら、この機種はレアだったということでみたいなのだが、価格が新品のときの倍くらいするのだたまに出てくるくらいで、それならパソコン買うよなあ、と思ってしまうことになっていたのだった。



で、考えに考えた結果、N2は諦めることにして、ちょっと高いカメラなのだが、同じくcanon Powershot SX230 HS という機種がルックスいいし、コンパクトで、10年以上前の機種で、写りは今どきのよりも劣るだろうけれど、多分動画を撮っても悪くないだろうから、とこれに決めた。



買うことにした。



アマゾンで買うことにした。



買って届いてから調べてわかったのだが、ヤフオクだと安くいくつも出ていた。



でもまあ、アマゾンで買ってしまったのだから仕方ない。ヤフオクは心配な面がある。



使ってみて、よかったら、ヤフオクでも安いものを買うかもしれない。












中の付属の説明書を始め、コード類とかはきれいだったが、箱はボロかった。
















本体の下のところにカバーがついていたらしいのだが、なかった。
なくても使えるし、そのうち壊れるのだが、
ついてないとは書いてなかったので、
ショック。














モニターも小キズがあった。
レンズは指紋がべったりついていたし、
中古とは言え、そこそこの値段だし、
気を使ってほしかった。























届いたものは、かなり使用感があるものだった。




本体下のカバーはついてなかったし、レンズは指紋がベタっと付いていた。




箱もボロかった。







しかしまあ、こういうことは、しゃーないのである。




使っていくことになる。




canaon は毎年毎年実験的とも受け取れるような一般的な売れ筋のデジカメを発売してくるが、古いカメラも買えたり、いつまでも修理してくれたらいいのになあ、と今回思ったのである。






このカメラは2011年発売で、その頃の売値は4万円くらいらしかった。




それを2万2千円ほどで中古購入した。




写真を近頃よく撮っているので、撮影のモチベーションがこれで上がるかも、ってそのことを期待している。

























2024年11月13日水曜日

[名古屋フォトウォーク#1] 杁中も思い出の地(その4 圦中)

 









この商業ビルの2階で長いことバイトしていたのである。

















ここを抜きに自分の名古屋時代は語れない

[名古屋フォトウォーク#1] 杁中も思い出の地(その4 圦中)
















八事山・興正寺を出てから圦中に向かった。


圦中も思い出の地なのである。


しかしそんなことを言うと、名古屋思い出の地というのは、まだいくつもある。あるのだが、ここを抜きに私の名古屋時代は語れない。



その当時のベストベラー本に『人生で必要なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』とか言うのがあったと思うが、私の場合、ここ圦中のバイト先がそれだったと言えそうなのだ。



写真で見てもわかるが、Googleマップで確認してみると、この2階建ての商業ビルの一階が『ドラッグスギヤマ杁中店』で、2階に『りさ圦中こころのクリニック』と『スポーツジム』が入っているのだが、その2階の広いスポーツジムになったところに飲食店があって、その横がおしゃれな家具店、一階はスーパーマーケットだった。



その飲食店は、その当時、名駅や栄でなく、よくここでそういう店をオープンすることになったものだなあ、と思うのだが、ミニFM局付き、お酒も出るレストランと言うか深夜まで営業しているカジュアルな飲食店で、当時『フライデー』だったか『フォーカス』だったかにスクープされた名古屋出身のタレントなのかなあ? の方とか、FM局で喋ったりしている人や学生の枠とかあって、某超有名アーティストの友人がお皿を回していた関係で、ふらりと現れたりもした店だった。



自分としては、そういうことはまあ、自分も音楽は好きなので、悪くないんじゃないかと思ってバイトの面接に行ったのだが、そういうことよりも、そこにいればまかないが食べられるし、コーヒーが飲めたりして、死ぬことはない、音楽も聞けるし、と連日深夜3時までよく働いていたのだった。




MTVのビデオをよく流していたし、深夜になると、好きなレコードをかけたりしていた。




その某有名アーティストの人にしても、(テレビCMで曲が使われていたが、テレビにその頃出てくる人じゃなかったと思う)下宿にテレビはないし、バイトばかりしていたので、ほとんど関心はなくて、学生なことを忘れるくらいぐたーっとして生きていたのだった。




が、仕事はキッチン補助ながら、補助というよりシェフ並みのキッチンで、そこそこ料理が作れるようになったり、サービス業なので、人とのコミュニケーション話法やら商売感覚など身についたなあ、という感じなのである。

















この景観も懐かしい。
左手のビルに以前はアウトドアショップがあったし、
そのへんのビルに大学の同級生が住んでいたりした。





















懐かしいなあ。




ここまで八事から歩いてきて、昔からあった店や、変わらない道の伸び方なんか目にして、そんなにも変わってないのがうれしかった。



上の写真で言うと、奥の方や、店の後ろの方とか、以前はこんなにも沢山高いマンションみたいなビルはなかったように思うが、昔のバイト先の建物がそのままそこに建ってるのはよかった。



その頃は、飲食店〜ぱっと見新しい、おしゃれとかな感じの店というだけで、客を呼ぶことができていたみたいな印象なのだが、その後、カフェバーだとか、なんちゃらカフェとかプールバーとかできてきて、人目を引くようなコマーシャルな店は、人が来なくなるまでにどれだけ儲けることができるか? みたいなことになっているようで、自分のバイト先は、カジュアルな飲食店から、堅実な居酒屋に変わることになって、店長も変わり、以前の店長に付いてるみたいな自分もバイトを干される感じになって、それはショックってことだったが、それでもバイトしないと、ということで八事ジャスコのカメラ店でバイトしたりしていたのだった。



その後、その居酒屋も終了してしまったらしいのだが、それでその後ここの場所がどうなったのかはちっとも知らなかった。




とにかく懐かしい場所だった。




今思うと、おしゃれな街である。




地下鉄を出たところのビルにある本屋、吉野家が今もあるのはうれしかった(笑)。


















地下鉄の駅が変わってないのも懐かしい。
バイトには歩きだったり、原付きで行っていたのだが。
















まだまだこのあたりを歩き足りなかったが、栄に行かないといけないのだった。




そりゃあ昔も地図というものがあったのだが、自分としては、そこがどうなってるのかとかよく歩いて地理感をつけるという原始時代から変わらないことを良くしていた。




今ってちょー便利である。










と、私的なことばかり描いているこのシリーズ、つづきます。




つづく。

























2024年11月11日月曜日

[名古屋フォトウォーク#1] 興正寺ってこうなっていたのか (その3八事山興正寺)

 







2024年10月13日、この日興正寺は縁日があって、なおかつ、大仏移動中だった。
こんなところに大仏があったなんて、知らなくてびっくりである。





















大仏があるなんて知らなかった

{名古屋フォトウォーク#1] 興正寺ってこうなっていたのか(その3八事山興正寺)




















八事のイオン、当時ジャスコのカメラ店でバイトしていたことを書いたが、その頃は写真が好きとかなかった。


今もそんなに好きかなあ? という気持ちがある。


絵のほうが自由でオリジナリティに跳んでいるとおもているからだし、いいカメラで撮るいい写真ということがあるが、機材で決まってしまうのかい、と言うことも思うからである。


当時はもちろんフィルムで、どうしてその店でバイトが必要だったかと言うと、夏とかゴールデンウィーク後とか、撮ったフィルムを現像〜プリントに出すその数がどっと増えるからだった。


なので、そこの社員の人はひたすら現像とプリント作業に追われていて、バイトの私は窓口係だった。


カメラにフィルムを入れることもできなくて、そんなことを言ってくる人がいたら、社員の人に装填してもらっていた。


そしてまた、お客さんというのも、多くが、安い、コンパクトカメラや写ルンですだった。


高価な一眼レフ使用者は、自分のお決まりのカメラ店でプリントしてたんじゃないかと思う。


そこの店のプリントは、その店にあった機械に通すとプリントされて出てくる簡単なプリントだった。


色とか明るさとかは、できたプリントが気にいらなければ、応じられるって仕組みになっていた。


それでも安かったのかなあ? なかなかの繁盛ぶりだった。






今思うと、そう言えばそうだったなあ、と思うのだが、お客さんにプリントを渡す際に、できたプリントを何枚かお客さんに見せて確認するってことが仕事としてあった。


他の人がどんなところに行って、どんな写真を撮ってくるものなのか、そこに出来上がってくる写真の量や、赤の他人のものだから、ということで興味はなかったのだが、そこに知っている女の子の彼氏が持ってきていたことがあって、この男と付き合って、2人で避暑地のペンションなんかに泊まりに行ってたのか、と知ってしまったことがあった。


また、普通に何処かに家族で行って来たとかいう人はあっさりとしたものなのだが、あえてオレはヌード撮ってきたぞ、とか言う人になると、そのヌード写真のヘアーがどうのだの、このフレームがどうのだのと、写真を説明したり、感想を求められたりすることがあった。






全然八事山・興正寺に記事が行けないのだが、そこで働いている人によると、中京大学八事校舎沿いに道を上がっていくと、それは山手通り、途中ハイソな人達が住む家々やマンションがその周囲にあって、ライオンズマンションに中日ドラゴンズの選手が住んでいて、その奥さんが写真を出しに来ることがある、と言っていた。




自分は中日ドラゴンズのファンではまったくないし、ほかのチームのことも知らないので、そこに選手が写っていてもさっぱりわからないと思う。




が、その頃私は、高校生の頃などに、きれいな女の人というのはいるものなのだが、その頃になってしまうと、ほとんど見かけなくなるということはどういうことだろう? とよく考えることがあった。




そのへんのことを話すと長くなるのでやめるのだが、そう考えるのは、ここが名古屋だから、ということも関係するのではないか? というのが私の一つの答えだったのだが、名古屋は人口が多い、なので、たまにとんでもない美人を見かけることもないではなかった。





その人は、普段着で、特におしゃれしてるということではなかったが、明らかにそのへんの方たちとは発するものが違って感じられる女性を山手通りを探索しているときに見かけて、驚いたことがある。




きれいな人はいるものだ、と。




その人は多分、中日ドラゴンズ選手の奥さんとかだったんじゃないだろか? とそんなことを聞いていたので、そう思ったことがある。











山手通りは、名古屋大学とか中京テレビのこととかまだまだ書けること、書けないことがあるが、興正寺に向かおう。



向かわねば。














こんな状況になっていた。
結構大きな大仏である。
















山手通りを、中京大学校舎沿いに上って、切れ目から興正寺に行ってみることにした。



八事山・興正寺は、中京大学校舎の裏手にあることを知っていて、ここは見ておくべきところだったんじゃないか? と学生の頃思っていたのだが、興正寺ってお寺を見に行くというか、そっちの方に行くということは、記憶では、一度か二度しかない。



その頃は、寺とかまったく興味がなかった。



今というかこの頃、青春18きっぷを使ったりして、名所や歴史的建造物を見に行ったりすることが多くなった。



しかしそれは、私の場合、見た目とか、建築様式とか、そこにそんな物があるという空気感とかがおもしろくて行っていて、歴史的に、何位時代の何とか氏がなんとかでと言うことは、さらりとしか関心がない感じである。



学生だったその頃は、バブル期で、街が変わっていく都市化の過程や他地域との差が自分の中ではおもしろかったのである。



なので、その頃、すぐ近くによく来ていても、ほとんど関心がなかった。



もったいないことをしたなあ、とか思いつつ、ここって、その昔はこんなに舗装されてなかったよなあ、なんて思いながら本堂方面に歩いていった。



そこは公園になっていたし、行ったその日は、月に2回開催される縁日の日だった。















撮って、後で気がついたのだが、大仏の後ろに飛行物体が写っている。
飛行機だとは思うが、かなあ? とも思う。














毎月5日と13日が縁日開催日らしい。
縁日で何を売っているのか知らないが、行ったときはすでに片付けを終えて、
帰るところという感じのワゴン車やらが止まっていた。
















門もあります。
知らなかった。
この右手の方に、公園もあった。

















ここが飯田街道に面した興正寺の入口。


















興正寺を抜けて広い道に出ると、そこは八事と杁中の間くらいのところ。



バイト先があった、思い出の圦中を見ていくことにしました。






つづく。

























[名古屋フォトウォーク#1]かつての学び舎中京大学、山手通りに(その2八事)

 






ここが中京大学八事校舎の正門。
その昔は、両サイドにもっと木々が茂っていたような記憶がある。
この階段は変わってないと思う。




















なんだか無機質な感じの大学のある通りになっちゃったなあ、って印象

[名古屋フォトウォーク#!] 八事交差点、中京大学、山手通り(その2八事)


















ということで地下鉄で八事に向かいました。


鶴舞線までの線野駅の感じなんかちょっと変わったよなあ、なんて思ったのだが、鶴舞線〜八事までの間は、変わってないなあ、って思えて懐かしかった。



書き忘れてますが、私は中京大学卒業生で、当時は八事の下宿人だったのである。



なので、地下鉄の八事駅も懐かしい。



ほじくり返すとくだらない思い出がいくつか転がり出てくる。















向こう二改札がある。
地下鉄八事駅である。





















この出口の前の道を挟んでイオンがある。
地下鉄出口。
















こっちから見ると、地下鉄入口って感じ。
















左手が八事交差点。
交差点近くにパチンコ屋があったのだが、ゲームセンターになっていた。
とは言え、名古屋の街にはまだまだパチンコ店はある。
















八事についたのがちょうどお昼くらいだったので、その昔はなかったよなあ、というすき家でクーポンを使って牛丼並盛を食べて、食後のコーヒー飲まないと、とイオンのマクドナルドに向かった。



その昔はジャスコだった。



近所の下宿ではジャンジャンジャスコと呼ぶ先輩がいて、今もそうだと言えばそうfだが、とても庶民的な空気を醸し出しているところだった。



大学4年の夏だったかは、カメラ屋さんがあって、そこでしばらくアルバイトをしたこともある。



半ズボンでバイトに行っていたら、社員に怒られた覚えやら、他にもあるとき、バイトをぶっちぎりたくはなかったし、そんなことしたくなかったのだが、バイトに入っていたときに三重県の海から電話をして、今日はいけないんですよなどと言い訳したことなど思い出される。



サーフィンに行こうという誘いを断りきれなかったのだった。



今の時代だと考えられないが、その頃は、いい空気感の中、あちこちでバイトをさせていただいていたのだった。



本当に今は考えらえない。



バイトに入ってるのに、その時間に三重県の海にいるだなんて。



ひどいやつだ。



あーいろいろ思い出すなあ。









中京大学も思い出だらけなので、書かずに次回につなげます。