希望のビヨンセ!
遅れてきたビヨンセ・ファンとして書いておこう。
ブログって、書くって言う? 打つって言う? と言う疑問はあるものの、ビヨンセについて書いておく。
ビヨンセの曲がヒットしていたことも知っていたが、どうしてそのとき、その曲に耳を貸さなかったのか、と言えば、ビヨンセは、デステイニーズ・チャイルドというグループに所属していたが、デイステイニーズ・チャイルドにしても、私の頭の中では、80年代からだったと思うが、ラップやヒップホップの流れの中にあって、その手の音楽は私の中で、なんだか行き詰まってんじゃないの? という見方になってしまっていて、それほどの魅力はなかった。
今になってデイステニイーズ・チャイルドの曲もいいものがある、と思っているのだが。
そう、ラップやヒップホップ、打ち込みの音楽の中にもいいものがある。
あったのだ。
そのことに耳を塞いでいたし、自分としては、それほどの音楽ファンだとも思ってないし、その頃は、古いJAZZのレコードを聴き続けていこう、などと考えていたくらいで、時代を行く、ポップ・ミュージックを追う気もなかった。
で、なんでここでまた、そんな人がビヨンセがいい、なんて言うのかと言えば、話は長くなるので、核の部分を言うが、とにかく、ポップ・ミュージックも終わっちゃってんだろうなあ、くらいのことを思っていたのだが、そこでビヨンセを見つけて、感激して、ビヨンセはいい、ということになったのである。
どうして見つけたのかというと、YouTubeである。
映像ということについてもそうだが、YouTube があるため、ポップ・ミュージックとの接し方も変化した。
そのことについての興味とSNS で、私はgoogle+をやっていて、そこで、好きな曲、好きな映像をポストできるので、YouTube をよく見ていた。
それは、つい最近、この間マドンナが来日したので、マドンナの映像を見ていて、マドンナ以外のアメリカのポップ・ミュージックも気になって、たまたま出てきたビヨンセをクリックして、ビヨンセ再発見、ということになったのが経緯である。
それは、アメリカン・フットボールのハーフ・タイム・ショウの映像で、すごかった(Super Bowl)。
これだけのことができるのか! と驚きがあった。
それ以来、ビヨンセ・ファンになってしまった。
ビヨンセビヨンセビヨンセ、とべた褒めだが、ビヨンセがいいと思うのは、ビヨンセの周りのいろいろなスタッフの力も鑑みてのことで、総合力としてすごいと感じられて、その凄さがいい、ということで、ビヨンセすごいな、ということになっている。
ビヨンセ個人がどんな人間性を持っているかとか、ちっとも知らない。
ビヨンセのサクセス・ストリーだの何だのは、全く読んだことがない。
YouTubeの映像ばかりで、いいと言っている。
そう、その総合力を映像から感じる。
多くの人が関わっているということからもそうだが、すべての中心にあるのがビヨンセだとしても、ビヨンセは、偉くて、スターで、とかいう感じが、過去の、そんな匂いをはなっている人たちとは、そのへんが、どうも違う。
スターと言うよりも、リーダーを演じてるみたいな印象がある。
それは、ビヨンセにスター性がない、ということでなく、なんだかその辺が新しく感じる。
なんだかとっても民主的なものをビヨンセ映像から感じる。
そして、その民主制は、ライブ時もそうで、ステージを、ライブを、客も一体化して楽しめている印象がある。
見る側を巻き込んでのステージ作りみたいなことを感じる。
行きたくなるよね、ライブに。
徹底的なエンターテインメント性を感じる。
新しいと思ったし、今の、これからの時代にあってんじゃないの、という感じがする。
感動、面白い、わくわくする、時代性、とかポップ・ミュージックに必要なことがビヨンセの音楽で戻ってきた感があるし、今の時代の音楽の希望だとも、かってに思っている。
もうちょっと、どこに感動しているか書くと、マイケル・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンがすごかったのだが、ビヨンセは、ビヨンセを核に、みんなですごい、と感じるそこのところ。
この文章で、わかってもらえるかどうか自信がないが、自分のなかでは、今ビヨンセは時代の希望だとさえ、思う。
見て・聴いて、いいちからをもらえる。
それだけでも、私の中ではすごい。
また、書くかも。