2024年10月13日、この日興正寺は縁日があって、なおかつ、大仏移動中だった。 こんなところに大仏があったなんて、知らなくてびっくりである。 |
大仏があるなんて知らなかった
{名古屋フォトウォーク#1] 興正寺ってこうなっていたのか(その3八事山興正寺)
八事のイオン、当時ジャスコのカメラ店でバイトしていたことを書いたが、その頃は写真が好きとかなかった。
今もそんなに好きかなあ? という気持ちがある。
絵のほうが自由でオリジナリティに跳んでいるとおもているからだし、いいカメラで撮るいい写真ということがあるが、機材で決まってしまうのかい、と言うことも思うからである。
当時はもちろんフィルムで、どうしてその店でバイトが必要だったかと言うと、夏とかゴールデンウィーク後とか、撮ったフィルムを現像〜プリントに出すその数がどっと増えるからだった。
なので、そこの社員の人はひたすら現像とプリント作業に追われていて、バイトの私は窓口係だった。
カメラにフィルムを入れることもできなくて、そんなことを言ってくる人がいたら、社員の人に装填してもらっていた。
そしてまた、お客さんというのも、多くが、安い、コンパクトカメラや写ルンですだった。
高価な一眼レフ使用者は、自分のお決まりのカメラ店でプリントしてたんじゃないかと思う。
そこの店のプリントは、その店にあった機械に通すとプリントされて出てくる簡単なプリントだった。
色とか明るさとかは、できたプリントが気にいらなければ、応じられるって仕組みになっていた。
それでも安かったのかなあ? なかなかの繁盛ぶりだった。
今思うと、そう言えばそうだったなあ、と思うのだが、お客さんにプリントを渡す際に、できたプリントを何枚かお客さんに見せて確認するってことが仕事としてあった。
他の人がどんなところに行って、どんな写真を撮ってくるものなのか、そこに出来上がってくる写真の量や、赤の他人のものだから、ということで興味はなかったのだが、そこに知っている女の子の彼氏が持ってきていたことがあって、この男と付き合って、2人で避暑地のペンションなんかに泊まりに行ってたのか、と知ってしまったことがあった。
また、普通に何処かに家族で行って来たとかいう人はあっさりとしたものなのだが、あえてオレはヌード撮ってきたぞ、とか言う人になると、そのヌード写真のヘアーがどうのだの、このフレームがどうのだのと、写真を説明したり、感想を求められたりすることがあった。
全然八事山・興正寺に記事が行けないのだが、そこで働いている人によると、中京大学八事校舎沿いに道を上がっていくと、それは山手通り、途中ハイソな人達が住む家々やマンションがその周囲にあって、ライオンズマンションに中日ドラゴンズの選手が住んでいて、その奥さんが写真を出しに来ることがある、と言っていた。
自分は中日ドラゴンズのファンではまったくないし、ほかのチームのことも知らないので、そこに選手が写っていてもさっぱりわからないと思う。
が、その頃私は、高校生の頃などに、きれいな女の人というのはいるものなのだが、その頃になってしまうと、ほとんど見かけなくなるということはどういうことだろう? とよく考えることがあった。
そのへんのことを話すと長くなるのでやめるのだが、そう考えるのは、ここが名古屋だから、ということも関係するのではないか? というのが私の一つの答えだったのだが、名古屋は人口が多い、なので、たまにとんでもない美人を見かけることもないではなかった。
その人は、普段着で、特におしゃれしてるということではなかったが、明らかにそのへんの方たちとは発するものが違って感じられる女性を山手通りを探索しているときに見かけて、驚いたことがある。
きれいな人はいるものだ、と。
その人は多分、中日ドラゴンズ選手の奥さんとかだったんじゃないだろか? とそんなことを聞いていたので、そう思ったことがある。
山手通りは、名古屋大学とか中京テレビのこととかまだまだ書けること、書けないことがあるが、興正寺に向かおう。
向かわねば。
こんな状況になっていた。 結構大きな大仏である。 |
山手通りを、中京大学校舎沿いに上って、切れ目から興正寺に行ってみることにした。
八事山・興正寺は、中京大学校舎の裏手にあることを知っていて、ここは見ておくべきところだったんじゃないか? と学生の頃思っていたのだが、興正寺ってお寺を見に行くというか、そっちの方に行くということは、記憶では、一度か二度しかない。
その頃は、寺とかまったく興味がなかった。
今というかこの頃、青春18きっぷを使ったりして、名所や歴史的建造物を見に行ったりすることが多くなった。
しかしそれは、私の場合、見た目とか、建築様式とか、そこにそんな物があるという空気感とかがおもしろくて行っていて、歴史的に、何位時代の何とか氏がなんとかでと言うことは、さらりとしか関心がない感じである。
学生だったその頃は、バブル期で、街が変わっていく都市化の過程や他地域との差が自分の中ではおもしろかったのである。
なので、その頃、すぐ近くによく来ていても、ほとんど関心がなかった。
もったいないことをしたなあ、とか思いつつ、ここって、その昔はこんなに舗装されてなかったよなあ、なんて思いながら本堂方面に歩いていった。
そこは公園になっていたし、行ったその日は、月に2回開催される縁日の日だった。
撮って、後で気がついたのだが、大仏の後ろに飛行物体が写っている。 飛行機だとは思うが、かなあ? とも思う。 |
毎月5日と13日が縁日開催日らしい。 縁日で何を売っているのか知らないが、行ったときはすでに片付けを終えて、 帰るところという感じのワゴン車やらが止まっていた。 |
門もあります。 知らなかった。 この右手の方に、公園もあった。 |
ここが飯田街道に面した興正寺の入口。 |
興正寺を抜けて広い道に出ると、そこは八事と杁中の間くらいのところ。
バイト先があった、思い出の圦中を見ていくことにしました。
つづく。