『自転車乗るお』

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2024年11月11日月曜日

[名古屋フォトウォーク#1] 興正寺ってこうなっていたのか (その3八事山興正寺)

 







2024年10月13日、この日興正寺は縁日があって、なおかつ、大仏移動中だった。
こんなところに大仏があったなんて、知らなくてびっくりである。





















大仏があるなんて知らなかった

{名古屋フォトウォーク#1] 興正寺ってこうなっていたのか(その3八事山興正寺)




















八事のイオン、当時ジャスコのカメラ店でバイトしていたことを書いたが、その頃は写真が好きとかなかった。


今もそんなに好きかなあ? という気持ちがある。


絵のほうが自由でオリジナリティに跳んでいるとおもているからだし、いいカメラで撮るいい写真ということがあるが、機材で決まってしまうのかい、と言うことも思うからである。


当時はもちろんフィルムで、どうしてその店でバイトが必要だったかと言うと、夏とかゴールデンウィーク後とか、撮ったフィルムを現像〜プリントに出すその数がどっと増えるからだった。


なので、そこの社員の人はひたすら現像とプリント作業に追われていて、バイトの私は窓口係だった。


カメラにフィルムを入れることもできなくて、そんなことを言ってくる人がいたら、社員の人に装填してもらっていた。


そしてまた、お客さんというのも、多くが、安い、コンパクトカメラや写ルンですだった。


高価な一眼レフ使用者は、自分のお決まりのカメラ店でプリントしてたんじゃないかと思う。


そこの店のプリントは、その店にあった機械に通すとプリントされて出てくる簡単なプリントだった。


色とか明るさとかは、できたプリントが気にいらなければ、応じられるって仕組みになっていた。


それでも安かったのかなあ? なかなかの繁盛ぶりだった。






今思うと、そう言えばそうだったなあ、と思うのだが、お客さんにプリントを渡す際に、できたプリントを何枚かお客さんに見せて確認するってことが仕事としてあった。


他の人がどんなところに行って、どんな写真を撮ってくるものなのか、そこに出来上がってくる写真の量や、赤の他人のものだから、ということで興味はなかったのだが、そこに知っている女の子の彼氏が持ってきていたことがあって、この男と付き合って、2人で避暑地のペンションなんかに泊まりに行ってたのか、と知ってしまったことがあった。


また、普通に何処かに家族で行って来たとかいう人はあっさりとしたものなのだが、あえてオレはヌード撮ってきたぞ、とか言う人になると、そのヌード写真のヘアーがどうのだの、このフレームがどうのだのと、写真を説明したり、感想を求められたりすることがあった。






全然八事山・興正寺に記事が行けないのだが、そこで働いている人によると、中京大学八事校舎沿いに道を上がっていくと、それは山手通り、途中ハイソな人達が住む家々やマンションがその周囲にあって、ライオンズマンションに中日ドラゴンズの選手が住んでいて、その奥さんが写真を出しに来ることがある、と言っていた。




自分は中日ドラゴンズのファンではまったくないし、ほかのチームのことも知らないので、そこに選手が写っていてもさっぱりわからないと思う。




が、その頃私は、高校生の頃などに、きれいな女の人というのはいるものなのだが、その頃になってしまうと、ほとんど見かけなくなるということはどういうことだろう? とよく考えることがあった。




そのへんのことを話すと長くなるのでやめるのだが、そう考えるのは、ここが名古屋だから、ということも関係するのではないか? というのが私の一つの答えだったのだが、名古屋は人口が多い、なので、たまにとんでもない美人を見かけることもないではなかった。





その人は、普段着で、特におしゃれしてるということではなかったが、明らかにそのへんの方たちとは発するものが違って感じられる女性を山手通りを探索しているときに見かけて、驚いたことがある。




きれいな人はいるものだ、と。




その人は多分、中日ドラゴンズ選手の奥さんとかだったんじゃないだろか? とそんなことを聞いていたので、そう思ったことがある。











山手通りは、名古屋大学とか中京テレビのこととかまだまだ書けること、書けないことがあるが、興正寺に向かおう。



向かわねば。














こんな状況になっていた。
結構大きな大仏である。
















山手通りを、中京大学校舎沿いに上って、切れ目から興正寺に行ってみることにした。



八事山・興正寺は、中京大学校舎の裏手にあることを知っていて、ここは見ておくべきところだったんじゃないか? と学生の頃思っていたのだが、興正寺ってお寺を見に行くというか、そっちの方に行くということは、記憶では、一度か二度しかない。



その頃は、寺とかまったく興味がなかった。



今というかこの頃、青春18きっぷを使ったりして、名所や歴史的建造物を見に行ったりすることが多くなった。



しかしそれは、私の場合、見た目とか、建築様式とか、そこにそんな物があるという空気感とかがおもしろくて行っていて、歴史的に、何位時代の何とか氏がなんとかでと言うことは、さらりとしか関心がない感じである。



学生だったその頃は、バブル期で、街が変わっていく都市化の過程や他地域との差が自分の中ではおもしろかったのである。



なので、その頃、すぐ近くによく来ていても、ほとんど関心がなかった。



もったいないことをしたなあ、とか思いつつ、ここって、その昔はこんなに舗装されてなかったよなあ、なんて思いながら本堂方面に歩いていった。



そこは公園になっていたし、行ったその日は、月に2回開催される縁日の日だった。















撮って、後で気がついたのだが、大仏の後ろに飛行物体が写っている。
飛行機だとは思うが、かなあ? とも思う。














毎月5日と13日が縁日開催日らしい。
縁日で何を売っているのか知らないが、行ったときはすでに片付けを終えて、
帰るところという感じのワゴン車やらが止まっていた。
















門もあります。
知らなかった。
この右手の方に、公園もあった。

















ここが飯田街道に面した興正寺の入口。


















興正寺を抜けて広い道に出ると、そこは八事と杁中の間くらいのところ。



バイト先があった、思い出の圦中を見ていくことにしました。






つづく。

























[名古屋フォトウォーク#1]かつての学び舎中京大学、山手通りに(その2八事)

 






ここが中京大学八事校舎の正門。
その昔は、両サイドにもっと木々が茂っていたような記憶がある。
この階段は変わってないと思う。




















なんだか無機質な感じの大学のある通りになっちゃったなあ、って印象

[名古屋フォトウォーク#!] 八事交差点、中京大学、山手通り(その2八事)


















ということで地下鉄で八事に向かいました。


鶴舞線までの線野駅の感じなんかちょっと変わったよなあ、なんて思ったのだが、鶴舞線〜八事までの間は、変わってないなあ、って思えて懐かしかった。



書き忘れてますが、私は中京大学卒業生で、当時は八事の下宿人だったのである。



なので、地下鉄の八事駅も懐かしい。



ほじくり返すとくだらない思い出がいくつか転がり出てくる。















向こう二改札がある。
地下鉄八事駅である。





















この出口の前の道を挟んでイオンがある。
地下鉄出口。
















こっちから見ると、地下鉄入口って感じ。
















左手が八事交差点。
交差点近くにパチンコ屋があったのだが、ゲームセンターになっていた。
とは言え、名古屋の街にはまだまだパチンコ店はある。
















八事についたのがちょうどお昼くらいだったので、その昔はなかったよなあ、というすき家でクーポンを使って牛丼並盛を食べて、食後のコーヒー飲まないと、とイオンのマクドナルドに向かった。



その昔はジャスコだった。



近所の下宿ではジャンジャンジャスコと呼ぶ先輩がいて、今もそうだと言えばそうfだが、とても庶民的な空気を醸し出しているところだった。



大学4年の夏だったかは、カメラ屋さんがあって、そこでしばらくアルバイトをしたこともある。



半ズボンでバイトに行っていたら、社員に怒られた覚えやら、他にもあるとき、バイトをぶっちぎりたくはなかったし、そんなことしたくなかったのだが、バイトに入っていたときに三重県の海から電話をして、今日はいけないんですよなどと言い訳したことなど思い出される。



サーフィンに行こうという誘いを断りきれなかったのだった。



今の時代だと考えられないが、その頃は、いい空気感の中、あちこちでバイトをさせていただいていたのだった。



本当に今は考えらえない。



バイトに入ってるのに、その時間に三重県の海にいるだなんて。



ひどいやつだ。



あーいろいろ思い出すなあ。









中京大学も思い出だらけなので、書かずに次回につなげます。

























2024年11月9日土曜日

[名古屋フォトウォーク] 久々の名古屋で写真をたくさん撮ってきた#1 (その1名駅)

 








この日のナナちゃんは、関西万博スタッフのウェア。
関西万博の広報は抜かりないのである。




















撮りすぎってことになったが、ブログネタにもなってよかった

名古屋フォトウォーク#1(その1名駅)

















2024年10月13日は、名古屋でスージー甘金さんの展示があるというので、行ってみることにした。


スージーさんの展示とトークライブがあると言うその日に行くことにしたのだが、名古屋に行くには、名鉄電車の『土休日名古屋特割り2』というお得切符があるので、それを使ってみたかったこともあって、行こう行こうということになった。



名古屋というと、こんな特別なことでもない限り、行くことはないなあ、という感じだった。


しかし、豊橋~名古屋間の土休日割引きっぷというのは、使ってみたいじゃない、ということは結構思っていた。



そのことに対して、青春18きっぷを手に入れようものなら、名古屋は行くところじゃないなあ、何しに行くの? ということになって、まあ、乗り換えか何かで名駅で名古屋土産調査をしてみたい、ということくらいしか頭になかったのである。



名古屋は、住んでいたこともあって、その住んでいたことさえ、今思うと情報弱者で、他に行けばよかったんじゃないだろうか? と思うことさえあるところだった。



そんなことを今更言っても仕方ないのだが、名古屋と思うと、なにしに行くの? と反射的にそんな言葉が出てしまうのが常だった。













ナナちゃん人形のところから西方向に歩いている感じ。
駅周辺は高層ビルが立ち並んでいる。
大都会ってことを見せつけようとしてるかのよう、って
このあたりに来るといつも思う。













と、こんなことばかり言っていると名古屋がそんなに嫌なのか!?  と思われそうだが、今いるところから100キロほど離れたところなのだが、かなり知っているところなので、できたら行ったことがないところを目指したい、という気持ちが強いのである。





で、今回、スージーさんの展示とトークライブに行くとしても、そこでそんなに時間を取られるものではないので、名古屋に行くのなら、街歩きなどして写真を撮ってこよう、インスタグラムなんかのネタにしよう、ということで、早めに家を出て、結構な点数の写真を撮ってきた。




スージーさんの展示に関することは、もう一つのブログの方に書くことにして、この日名古屋の八事や大須などで撮ってきた写真をブログにまとめておくことにします。




すでにインスタグラムに出していたりする写真なので、さらりとまとめてそれらを追いたい方は、そちらをご覧いただけましたら幸いです。





instagram ; oharamaruno,instagram














地下鉄で八事に向かうのだが、地下鉄改札に向かっていくと、
ユーチューバーのミキヤ氏の広告が嫌でも目に入る。
地下鉄車両外面にも高須クリニックの広告が張ってあって、
金山で降りて向いたかったなあ、なんて思った。
ナナちゃん人形の写真を撮りたかったので名駅まで来たのである。






















10月13日、この日は、まずは名古屋駅着。


その後、中京大学がある八事に行き、八事山興正寺をま割っていりなか。

そして、新栄〜大須などに、という動き方をしました。






では、まずは、今回は名駅で撮ってきた写真を載せておきます。




撮ってきた写真をご覧いただく今回の名古屋フォトウォーク、結構何回も続きます。




お楽しみにしていただけましたら幸いです。











































2024年9月26日木曜日

ビワイチ終了記念、とび太くん写真まとめ

 





この回のためにとび太くんのイラストを描いたのだが、
ちっとも似ず。
まあ、いいかという感じで載せておきます。














私と出会ったとび太くんと飛び出し坊や写真

ビワイチ終了記念、とび太くん写真まとめ

















2024年の夏、青春18きっぷを使っての分割ビワイチで撮ってきたとび太くんと飛び出し坊やの写真まとめをお送りします。










今回撮った中で一番決まったな、と思えるのがこの写真。
コンテストに出してもイケそうな写真だと思う。











御臨終になってしまったcanon N2で撮った写真。
なんかぼやけた感じがあるのがこのカメラの写真で、
それは今どきどうなんだろう? とそれをマイナスとして
捉えていたが、今となっては、それこそN2の味だなあ、
と壊れてしまったカメラをとても残念に思う。
これがその N2最後の写真である。











八幡山ロープウェイというのが近江八幡にあって、
その公園前駅の前のとび太くんがこれ。
















これはとび子ちゃんだろう。
通りで見かけた。




















近江八幡の水郷のところのうなぎ屋のとび太くん。
店の前にあったのだった。























このとび太くんは、表情が最高である。





















こういうタイプの飛び出し坊やもあるのだった。



























まだ他にも撮ってきているのだが、いいショットなものはこれくらいかなあ。


とび太くん、飛び出し坊やってのは、カスタムされたり派生したものも含めて、滋賀県のあちこちで見かけることができるのだが、広がったのは、もともと実用性があったからである。

が、そのデザイン性が優れているので、なんだかこれぞ現代美術展示ってことさえ感じる。

この広がり方は、すごいすごい、って感心する。

あちこちにあって、カスタムされていたり、店の看板になっていたり、とおもしろいのである。

滋賀県に行こう、とまず最初に思ったのは、琵琶湖でも観光でもなく、とび太くんが見られるから、ということがあった。

今回ビワイチで、滋賀県の町を走って、とび太くんの実際を目にできて、結構満足した。








ビワイチは、南側のところがまだ回ってないので、そこでまたとび太くんに出会えるだろうことを思って、わくわくしている。



とび太くんの写真が撮れてよかった。









































2024年9月17日火曜日

[青春18きっぷの旅 ] ビワイチとりあえず終了

 






今回のベスト・ショットも言える琵琶湖沿いにあったとび太くんの写真。



















スポーク折れにめげずに米原駅まで

[青春18きっぷの旅] ビワイチとりあえず終了



















分割ビワイチ折りたたみ自転車ルノー・ライト8の最終回は9月8日になった。



台風が来るとかだったかなあ? で遠出すると、その先で電車が止まったりする可能性もあるかなあ? あったらあったでいいんだけど、まあ、様子を見るか、と分割ビワイチを始めてから3回連続日曜日に行っていたのだが、最終回は、2回間をおいて、青春18きっぷ使用可能期間最後の日曜日になったのだった。



そう言えば、8月いっぱいで奥山高原が閉館するというので、一回はそちらにあてて、2週間間を置いての最終回になったのだった。



最終回と言っても、琵琶湖大橋から上の琵琶湖をぐるりと回った今回のビワイチで、下の琵琶湖は、また機会を見つけて回ろうと思っている。














近江八幡の水郷。
観光スポットである。



















最終回のスタートはJR近江八幡駅からで、まずは激安スーパーラ・ムーに向かい、寿司のパックを買って店先で食べて腹ごしらえ後の開始になった。



そうそう、この日は、なんと米原〜醒ケ井間の線路脇で火災発生で、関ヶ原駅で電車は動かなくなり、1時間半ほど、ホームで電車運行再開まで待たされることになった。
















JR関ヶ原駅のホームで。
運転再開の電車を待つ人達。
ここから米原駅まで超満員電車になった。
こういうのが青春18キッパーの辛いところである。














動いてくれてよかったのだが、この時間のロスは大きかった。



結果で言うと、ラ・ムーで寿司を食べるのは良かったとしても、近江八幡の観光スポットをちょこっと観光したり、彦根でコメダ珈琲店で休んでいこう、などのプランが頭にあったのだが、それどころじゃなくなった、ということになった。


この日は、ラ・ムーと近江八幡ロープウェィ駅の土産物屋コーナーでとび太くんのノートを買うことしかできなかった。



米原駅までも、思っていた以上の感じの距離感があった。



彦根市に入ると、結構焦って走っていた。



しかも、前日から、この異音のカラカラ音は何? と原因がわからずに来ていて、その原因はやはりスポークにあったみたいで、気づくとスポーク一本折れちゃっていたのだった。



過去に、700cのクロスバイクでスポークが折れたまま走って大丈夫だったこともあって、折れたことに気づいてから、あと20Km以上あったのだが、まあ、なんとかなった。















たこ焼きのキッチンカーがいたのでパシャリ。
ゆっくりと食べていけなかったのは残念。













隙間だらけの琵琶湖沿岸という感じである。
















今回のビワイチからビワイチについてまとめたブログも書こうと思うのだが、ビワイチコースは湖岸に沿っていたり、湖岸からそんなに離れないルートで、地理感もないので、そこを見失わないように行くことになるのだが、反時計回りに行っていると、やっと見かけたコンビニや道の駅に行くことさえ、反対側の道にいかねばならないことばかりで、めんどくさくて寄れなかったし、ルートを外れて観光スポットに寄るなんて余裕がなかった。





そのルートは自転車で走りやすいのだが、変化がないところが多い。




それと、自分の場合、スマホがボロいので、マップの確認は、紙の地図をリュックから出して確認することになるので、それがめんどくさくてしないので、今どのあたりにいるのかとかわかりにくく、不安だった。




公園とかに寄ると、地図が描かれた看板があったりするのだが、そんな公園もそんなになかったのだった。




なんだかよくわからないが、とにかく先を急ぐという走り方だった。















打ち寄せる琵琶湖波。













琵琶湖はでかかった。



どこまで走っても琵琶湖なのだった。



浜名湖と違うものだと思ったのは、でかい琵琶湖周辺で、人が集まるスポットもあるのだけれど、どこも琵琶湖で、結構のびのびと好きなところで琵琶湖と接する場所があるみたいだな、というところ。



空いているのである。



また、京都や大阪も近いのに、滋賀県は人が少なそうで、のんびり感を感じるところだった。





また、滋賀県と言うと、自分にとってはとび太くんが生まれたところで、あちこちでとび太くんとそんな飛び出し坊やが見かけられるところなのはよかった。













このあたりはとび太くん率が高かった。
この写真は、この写真を撮った数日後御臨終を迎えた canon n2
というコンパクトカメラで撮ったもの。















この日、電車が遅れたあこともあって、なかなかのせこせこっぷりでJR米原駅まで走り終えることになったのだが、ビワイチを計画通り終えることができてホッとした。



自転車は、他に、気づくと、自転車止めのスタンドの先に保護用ゴムが付いていたのだが、どこかに落っことしてきていた。



まあ、それも今回のビワイチの思い出である。



ビワイチという目標があって、それを走りきった達成感は、たしかにビワイチにあるなあ、とそのことを思いながら電車に乗って帰っていったのだった。










それにしても米原駅周辺にはコンビニもファストフードの店も牛丼屋もなくて、駅前で自転車を折りたたんでケースに入れたあと、なにか飲みたい、食べたい、と駅と隣接する市役所内に行ってみたのだが、欲しくなるものがまったくなかった。


また降りることがあるだろうか? 米原駅。

























2024年8月28日水曜日

奥山高原に行ってきた

 






花の奥山高原にあったアンパンマンを始めとするちびっこ向けオブジェ3体。
ここに行こうと入っていったところのベンチでカップルが
膝枕で男の耳の穴掃除などしていちゃついていて、
アンパンマンを見に行くのも大変だなあ、と思った。
ほんとローカルな空気感のところで、
家の外は公共の場ということを意識する私としては、
波長が合いそうにないところだなあ、という印象である。





















最初で最後の奥山高原

花の奥山高原8月で閉園だと

















8月25日日曜日、花の奥山高原に行ってきた。


instagram などで、この2024年8月で終了してしまうということを知って、行ったことがないよなあ、と思いビワイチより先にということで、行ってみることにしたのだった。


交通手段はもちろん自転車で、天竜浜名湖鉄道『知波田駅』から『気賀駅』まで輪行ワープで行くことにした。


今回のよかったポイントとしては、天竜浜名湖鉄道に乗ったことがまず挙げられる。


子供の頃に乗ったことがあったはずだよなあ、というくらいで、ほとんど記憶にない。


知波田駅でゆっくりと輪行袋にブリヂストン・クエロを収納して、のんきに電車を待って、乗り込んだ。














歯科医と駅舎を同じくする天竜浜名湖鉄道『知波田駅』。

















広々とした待合質。
愛車ブリヂストン・クエロを輪行袋に入れて電車の到着を待った。















ローカル感バッチシ。
私のほかに乗客はいなくて、やってくる電車を撮る撮り鉄カメラマンが現れた。


















車内は、外国人と観光目的だろうなあっぽいひとと、地域の脚って感じの人達が乗っていて、それなりの需要があるんだろうなあ、ということが理解できた。


また、よくこの周辺を自転車で走っている者としては、これは便利だなあ、という気分で、景色を見るのも楽しかった。














天浜線電車内からパシャリと撮っているところ。















電車内からの景色は新鮮。

















気賀駅。
















そして気賀の駅についたのだった。


駅の横にラーメン屋があって、食べて行こうかなあ、と思ったところにバイクのあんちゃんが来て、あとに続いて入っていけばよかったのだろうけれど、ローカルな、なんだか常連で埋め尽くされているような店なのかなあ? とそこで躊躇してしまい、ラーメンは諦めて、北に進み、こんなとこ行くのか? と思われる激坂を登って行くことになったのである。


そうだなあ、あちこち出かけていって、その土地の個人飲食店に入れないのは、常連のための店の匂いを感じるからだろうか? もちろんチェーン店にも常連は存在するんだろうけれど。


とか思いながら、ひたすら坂を自転車を押していった。


これだけ急だと激坂好きヒルクライマーなんてサイクリストも無理じゃないだろうか? と思える坂である。
















まずは国民宿舎まで。
国民宿舎あたりから見下ろす浜名湖の景色がよかった。






















坂を登っていくと、まずは国民宿舎を目指すことになった。


駅から1キロくらいあるのだが、ずっと登坂である。


国民宿舎につくと、そこからちょっと行けば奥山高原じゃないだろうか? と思っていたのだが、ぜんぜん違うし、国民宿舎の先で3方向に分かれる道のどれを行けばいいのか、そこにあった立て看板の地図を見ていると、坂の下から上がってくる〜国民宿者で働いてる人? が「どこに行く?」と声をかけてくれて、どの道に行けばいいか教えてくれた。


困ってる人を見たら助けるのが人の道だよなあ、と道を教えてもらえたからこそと、そんなことを考えながら、まずは道を下っていった。


























奥山のバス停あたりからの登阪は、自転車で行けないっちゅーの。




















奥山高原までは、なかなかの距離があったし、奥山高原の長い登坂を登っていく前のバス停のところから、奥山高原までは、ホントきつい登り阪だった。


どれくらいだろう? 3キロくらい? ずっと自転車を押して登っていったのだった。


















観光案内所があったことに驚いた。
閉まっていたが、以前は観光名所だったってことだと思う。
















えんえんと登った坂のここを右に行けば花の奥山高原である。
よくぞここまで登ったものだと、自分を褒めたことは言うまでもない。
よくやった !
自分エライ !


















途中で行くのはやめようか? と何度も思ったが、やめて他になにかここまで来て良かったようなことが思いつかなかったので、ひたすら自転車を押していった。



オレンジロードを終えて、奥山の集落に入った頃に一人自転車に乗っている若者を目にしたが、このあたりの坂を登りに来ている人じゃなくて、土地の若者だったに違いない。



やたらと坂が続く。



奥山高原までの道は、クルマでも坂がつらそうだった。



気軽にここまで来られなさそうなところにあったのだった。





そのあたりの山にハイキングにくるってことはありそうだが、奥山高原までは登山って感じになるんじゃなかろうか?















顔出しパネルで気分は上がるよね。
隣に自転車置き場があるが、
ここまで登ってくるサイクリストがどれだけいただろうか?














閉園は残念って言えば、残念だが、私なんかがどうしてあげようもない。



















釣り堀も閉まっていた。
ここに釣り堀があるのはいいね。
でかい鯉なんか釣って持ち帰れたんだろうか?





















到着した花の奥山高原は、無料で入ることができた。


着いて思ったのは、高原ってどこが? ということで、入ると更に坂が続いていて、もうかんべんしてほしい、ということで、ベンチで休んで、帰ることにした。


花の季節じゃないので、この場の花の良さとかちっともわからないし、庭園なのだとしても、見て、心休まるとか、そういうものでもなさそうで、考えてあるんだろうけれど、どこがいいのかさっぱりだなあ? とにかくここまで来るのがつらかった、とベンチで休んで帰ることにした。


なにしに来たんだろう感バッチリなのだが、こういうところだったということはよくわかった。


ここに来たのは、もちろん初めてだった。













帰りは、浜松の街に出て帰ることにしたのだが、浜松市街地まで、なかなかの距離があった。



奥山当たりに行ったのは、初めてだったかも知れない。



そこも浜松市なのだ。



どんなところかわかったのは良かったと思う。



この日は降水確率高かったのだが、途中パラリとして、志都呂のあたりで降られただけだった。








入野イオンのスガキヤで肉入りラーメンを食べて、志都呂あたりで雨が降ってきたので、志都イオンのスガキヤでかき氷を食べて帰ってきた。











浜松西イオンのスガキヤスーちゃんで食べた『肉入りラーメン』。



















志都呂イオンで食べた『抹茶氷』。

























2024年5月15日水曜日

JR蒲郡駅前のアピタに寄る

 








アピタの不二家。
ペコちゃんがかわいい。
アピタはやはり食品売り場に人が多い。




















竹島で潮干狩りの後はアピタのスーちゃんなのだ

JR蒲郡駅前のアピタ



















竹島で潮干狩りの後は毎年そうなのだが、JR蒲郡駅前のアピタ・フードコートにかならず行く。


ここのところスガキヤ・スーちゃんは店舗が減っていて、利用する機会も減っている。


せっかく蒲郡に来たのだから、そこで何か食べていきたい、と思うとここになる。


また、ビミョーなのだが、スガキヤ・スーちゃんの店舗の味がチェーン店だからといってどこも同じじゃないというのがおもしろいところで、蒲郡アピタのスーちゃんの味が格別美味しいということでもないのだが、ここはこういう味なのかい、とか思うだけなのだが、その楽しみもある。
















ラーメン : 値段は確か430円だったと思う。
以前のことを思うと、
ずいぶん値段が上がってしまった。















この日、ここのスーちゃんでは、高齢のご婦人方が、かき氷なのかなんなのかわからなかったが、それがここにあるのか聞きに来ていて、それは隣の店のじゃないですか? とひとりで店を回す店員がめんどくさそうに答えて、そしたら次にその隣の店のお姉さんが、かき氷は家でやってないとかなんとか言いに来て、その後また、ご婦人方がどうのこうの言いに来て、オレの注文を早く取ってくれたら言いのに、と心底願いながら注文できるのを待っていた。


前回、去年来たときは、少し並んで注文を待っていたのだが、そこに割り込むように爺さんが横入りのくせに「オレの注文を取らねーのか! 」とか言い出して、まいったなあ、とか思っていた。


この日は、広いフードコートなのに、隅っこの方にチラホラと高齢者の客がいて、ある人たちは持ち込んだ缶チューハイなんか飲みながら将棋を指しているのだった。



そして、若干名の、通常こういうところにいる感じのお姉さん方の姿があるだけで、日曜日でこんなふうなのだが、ここのフードコートは潰れないなあ、と感心するのだった。



スーちゃんでひとりで店を回している店員さんの姿も、もう何年も前から見ている。



ここのフードコートは、学校がある平日学生で混んでいるのかなあ? なんて思うのだ。



しかし、蒲郡近くに、他に飲食店のチェーン店はないみたいだし、個人店もそんなに見られない。



また、ファスト・フード店も値段が上がっているので、このあたりにコメダ珈琲店があればそっちに行くんだけどなあ、と思う。思うのだが、そう思うのは私くらいで、需要があればとっくにコメダ珈琲店もできているだろう。



駅前の人通りも少ないのだ。



車社会な愛知県だし、というところなんだろうか?













2階フードコートの横はゲームセンターなのだが、
誰もいない。
2階の空いたスペースで地元の写真愛好家の方?
の展示なんかやってたみたいである。
ゲームもまあ、スマホでできるってことかなあ?















この日はひさびさのお出かけで、時間もあったので、そうだなあ、帰りに豊橋に寄って、はなまるうどんでも食べていくか、と途中下車した。



豊橋駅の横のビルにあった『はなまるうどん』は潰れてしまっていて、なんでだろう? ということで、仕方ないので、豊橋駅ビルで弁当を買って帰ったのだった。



『はなまるうどん』は客単価が低すぎるってことなんだろうか?



地方都市も地方都市なりに街の様子から考えることがあるなあ、と思うのだった。


















これがアピタ蒲郡店。
JR蒲郡駅を南に出るとすぐ。
























[蒲郡] 今年も潮干狩り行ってきた(2024)

 








橋の向こうが竹島。
この辺り一帯が潮干狩り会場になる。
料金は1500円。
この額以上のアサリを取って帰りたいものだが、1500円で2kgってことみたい。




















アサリ不漁

蒲郡竹島潮干狩り2024 4/29














今年も蒲郡竹島エリアにゴールデンウィークに潮干狩りに行ってきた。


浜名湖で潮干狩りができないというのが長いこと続いているのだが、一方こちら三河湾では、という感じで例年この期間に来るようになっていた。


会場行きや、開始時間に合わせて電車に乗っていくことも、長いこと続けているので慣れたものである。


何年か前に、観光バスに乗って中学生なのかなあ? が団体で来ていたことがあった。


今年もそんなことがあるのかなあ? なんて思いながらJR蒲郡駅から歩いていったのだが、竹島が近づいてくると、潮干狩りに来たんじゃないだろうけど、と思われる観光バスが目についたりもして、このあたりにはるばる遠くからわざわざ来る人達がいるんだなあ、なんて思えるくらい賑やかなところになっていた。










竹島までの道沿いに屋台なんか出ちゃって盛り上がる潮干狩りひゃーっはは、
という雰囲気になっていた。

















団体客がいなくても、潮干狩り会場は、早にぎわいをみせていて、これはs開始と同時にスタコラと進んでいって、いい場所を確保せねばならん、なんて意気込んでいた。



また、今年初の試みとして、100均で買って持っていたプラスティックの折りたたみ椅子を持参してきていた。



これなら落ち着いて足腰の負担を抑えて潮干刈りに集中できそうだ。














潮干狩り開始時間を待つ人達と、
なんか食べ物をくれとねらう鳥いっぱい。

















そして潮干狩りが始まって、バシャバシャと浅い海を進んでいって、おー、このへんで手を入れたらザックザクじゃないの? とやってみても、あれれで、あれれの連続で、移動に次ぐ移動で、はじまってまだ10数分くらいではないか? という時間から疲れてるし、困ったぞ、という具合になってしまっているじゃないか。



仕方なく、このあたりで椅子に座ってやってみるかと、そうしても取れないし、椅子の高さが低いもんだからお尻のところまでビショビショになってしまって、これなら持ってくるんじゃなかった、ともう椅子は邪魔なものになってしまっていた。



なんだなんだどうしたどうした、と移動しては掘るを続けるしかない。



苦行である。


これはおかしいじゃないか? でも取って帰らないと家族の手前もあって、帰りにこのへんに魚屋花かっけ? ともうアサリを魚屋で買って替えることまで考えて、あたりを見回すと、取れてるような取れてないような、というよくわからない感じである。


仕方ない。


自分だけ取れないとしても、取れないのだから仕方ない、という事にして、腹をくくって、そろそろ帰ろうという時間になった。




おかしいのだが、例年の1/4 位の量しか取れなかった。




なんてこったい。



金返せ、とか思って、テントのところに目をやると、今年はアサリ不漁で、2Kg取れなくても返金しません、という紙が貼ってあるのが見えた。



ブルース・リーの映画だとこういうのを悪だと捉えて、あちゃあちゃと漁業組合と対決など始めると思うのだが、今の時代、モノよりコト、体験だからな、ということで大人気ないことをたくらんだりせずに、疲れた足腰をベンチで休んで帰ることにした。




こうなったら、気持ちを切り替えて、JR蒲郡駅前アピタのスガキヤスーちゃんでラーメンを食べていくのだ、ということになった。



私の蒲郡竹島潮干狩りは例年、アピタのスーちゃんでラーメンを食べるまでの行動を言うことになっているのだ。




あー、浜松街中のスーちゃん閉店しちゃったからな。ここのスーちゃんでゆっくり食べていこう。



うまいうまい。












例年この網にアサリいっぱいにして帰ってくるんだけれど、
今年はこれだけ。
ヒジョーにさみしいーっ !












どんぶりに移したら、これだけ。
しかも手前に写っている大きめのアサリは、中泥だけだったという
悲しいお話を語ることにさえなったのである。





















取れたアサリは一晩水につけて砂を吐かせて、塩だけで味付けたアサリのつゆにしていただきました。



今年はアサリ不漁で、それがアサリの味にも影響していた感じでした。



来年はどうだろう?