『自転車乗るお』

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google play 無料アプリ FlipaClip で使用したひとコマ『自転車乗るお』から

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2024年11月13日水曜日

[名古屋フォトウォーク#1] 杁中も思い出の地(その4 圦中)

 









この商業ビルの2階で長いことバイトしていたのである。

















ここを抜きに自分の名古屋時代は語れない

[名古屋フォトウォーク#1] 杁中も思い出の地(その4 圦中)
















八事山・興正寺を出てから圦中に向かった。


圦中も思い出の地なのである。


しかしそんなことを言うと、名古屋思い出の地というのは、まだいくつもある。あるのだが、ここを抜きに私の名古屋時代は語れない。



その当時のベストベラー本に『人生で必要なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』とか言うのがあったと思うが、私の場合、ここ圦中のバイト先がそれだったと言えそうなのだ。



写真で見てもわかるが、Googleマップで確認してみると、この2階建ての商業ビルの一階が『ドラッグスギヤマ杁中店』で、2階に『りさ圦中こころのクリニック』と『スポーツジム』が入っているのだが、その2階の広いスポーツジムになったところに飲食店があって、その横がおしゃれな家具店、一階はスーパーマーケットだった。



その飲食店は、その当時、名駅や栄でなく、よくここでそういう店をオープンすることになったものだなあ、と思うのだが、ミニFM局付き、お酒も出るレストランと言うか深夜まで営業しているカジュアルな飲食店で、当時『フライデー』だったか『フォーカス』だったかにスクープされた名古屋出身のタレントなのかなあ? の方とか、FM局で喋ったりしている人や学生の枠とかあって、某超有名アーティストの友人がお皿を回していた関係で、ふらりと現れたりもした店だった。



自分としては、そういうことはまあ、自分も音楽は好きなので、悪くないんじゃないかと思ってバイトの面接に行ったのだが、そういうことよりも、そこにいればまかないが食べられるし、コーヒーが飲めたりして、死ぬことはない、音楽も聞けるし、と連日深夜3時までよく働いていたのだった。




MTVのビデオをよく流していたし、深夜になると、好きなレコードをかけたりしていた。




その某有名アーティストの人にしても、(テレビCMで曲が使われていたが、テレビにその頃出てくる人じゃなかったと思う)下宿にテレビはないし、バイトばかりしていたので、ほとんど関心はなくて、学生なことを忘れるくらいぐたーっとして生きていたのだった。




が、仕事はキッチン補助ながら、補助というよりシェフ並みのキッチンで、そこそこ料理が作れるようになったり、サービス業なので、人とのコミュニケーション話法やら商売感覚など身についたなあ、という感じなのである。

















この景観も懐かしい。
左手のビルに以前はアウトドアショップがあったし、
そのへんのビルに大学の同級生が住んでいたりした。





















懐かしいなあ。




ここまで八事から歩いてきて、昔からあった店や、変わらない道の伸び方なんか目にして、そんなにも変わってないのがうれしかった。



上の写真で言うと、奥の方や、店の後ろの方とか、以前はこんなにも沢山高いマンションみたいなビルはなかったように思うが、昔のバイト先の建物がそのままそこに建ってるのはよかった。



その頃は、飲食店〜ぱっと見新しい、おしゃれとかな感じの店というだけで、客を呼ぶことができていたみたいな印象なのだが、その後、カフェバーだとか、なんちゃらカフェとかプールバーとかできてきて、人目を引くようなコマーシャルな店は、人が来なくなるまでにどれだけ儲けることができるか? みたいなことになっているようで、自分のバイト先は、カジュアルな飲食店から、堅実な居酒屋に変わることになって、店長も変わり、以前の店長に付いてるみたいな自分もバイトを干される感じになって、それはショックってことだったが、それでもバイトしないと、ということで八事ジャスコのカメラ店でバイトしたりしていたのだった。



その後、その居酒屋も終了してしまったらしいのだが、それでその後ここの場所がどうなったのかはちっとも知らなかった。




とにかく懐かしい場所だった。




今思うと、おしゃれな街である。




地下鉄を出たところのビルにある本屋、吉野家が今もあるのはうれしかった(笑)。


















地下鉄の駅が変わってないのも懐かしい。
バイトには歩きだったり、原付きで行っていたのだが。
















まだまだこのあたりを歩き足りなかったが、栄に行かないといけないのだった。




そりゃあ昔も地図というものがあったのだが、自分としては、そこがどうなってるのかとかよく歩いて地理感をつけるという原始時代から変わらないことを良くしていた。




今ってちょー便利である。










と、私的なことばかり描いているこのシリーズ、つづきます。




つづく。

























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